初めての方へ

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ラッフルズメディカルは、40年の歴史を持つシンガポールの老舗医療機関で、シンガポール市内のブギスの旗艦総合病院のラッフルズホスピタルをはじめ、シンガポールの隅々まで80以上の医療・歯科センターを有しております。1976年にシンガポール医学部を卒業した二人の医師、Dr Loo Choon Yong (現会長)およびDr Alfred Lohが、最初のクリニックを開設しました。その後、 順調に発展し、1997年の上場を経て、現在の総合医療機関に成長いたしました。毎年100以上の国から訪れる患者様を含め、200万人の患者様に医療サービスを提供しております。

ラッフルズメディカルの強みは、シンガポール私立医療機関にはごく稀な「Institutional Group Practice」と呼ばれるチーム診療を導入していることです。チーム医療というのは、ラッフルズ所属の医師のすべてがひとつのチームとして、患者様に最善の医療をご提供する医療のことです。ラッフルズの医師たちは、専門医・一般医を問わず、お互いに、情報や知見を交換し、患者様のために最善の治療を提供しています。

ラッフルズメディカルベトナムでは、ハノイクリニック勤務の野田医師とホーチミン市クリニック勤務の中島医師を中核に、それぞれのクリニックに勤務する各専門医(小児科、婦人科、皮膚科、循環器、整形内科、他)と共に医療チームを組んで情報を共有し、より高度な治療を行っています。さらに、日本人患者様が専門医を受診する際には、サポート役として、治療方針症状等を日本語で、日本の独特の医療文化を踏まえて、患者様に説明することも可能です。これはラッフルズが長年にわたり、他文化、多国籍の患者様に医療を提供してきた経験に基づいて築いてきた特別な医療スタイルだと自負しています。ラッフルズメディカルは医療は患者様お一人おひとりの文化および価値観に基づくべきであると考えています。

ラッフルズメディカルは、安全な医療の提供と、医療の質の向上のために常に努力しています。ラッフルズホスピタルは、世界的な権威である米国の医療監査機関のJoint Commission International  (JCI)の認定を獲得し、定期的な更新監査も受けております。さらに、ラッフルズメディカルは、世界最高水準の医療機関である米国のメイヨークリニック(Mayo Clinic)と提携し、アジアの医療機関として初めて、メイヨーケアネットワーク(Mayo Care Network)に加盟しました。

このネットワークにより、ラッフルズメディカルとメイヨークリニックの医師たちは、医師間の交流、疾患および特定患者の病状の意見交換のみならず、遠隔IT技術を駆使して、メイヨーの医師がリアルタイムにラッフルズの患者様の診療を行うなど、幅広く連携しております。メイヨークリニックの豊富な医療資源を駆使することにより、患者様に質の高い医療を受けて頂くことが可能です。

ラッフルズメディカルは、海外進出も積極に行い、中国、東南アジアおよび日本に医療センターを持ち、アジアの13の主要都市で、診療をおこなっております。中国では、上海で、ラッフルズ初のシンガポール以外での国際病院として、400床の総合病院を開院予定です。また、2015年に大阪の梅田で、ラッフルズメディカルクリニック大阪を開院し、日本での拠点を確立いたしました。 シンガポールにおいては、10年以上にわたりラッフルズジャパニーズクリニックが、在シンガポールの日本人の皆様の診療をおこなっております。多くのご利用者に支えられ、ラッフルズジャパニーズクリニックは、現在シンガポールでの最大規模の日本人クリニックに成長しました。

ラッフルズメディカルは、設立以来、「To Patients Our Best」(患者様に最善を尽くす)という信念を堅持し、多くの患者の方々のお陰で、アジアの医療を率いるメディカルグループに成長することが出来ました。一人一人の従業員および医師は、常に、患者様に感謝の気持ちを持ちながら、診療に最善を尽くすよう心がけております。

ラッフルズメディカルベトナムの前身のインターナショナルSOS(ISOS)は、26年前からベトナムで海外で働く皆様のための医療施設を運営してきました。長い歳月が経ち、環境が大きく変りましたが、いかなる困難な状況があったとしても、質が高く安全な医療を提供し続けるという唯一の信念は、変わっておりません。まだ医療資源の乏しかった25年前のベトナムに、この信念を貫くため私たちはやってきました。

1992年に私たちのホーチミンでの最初の救急医療センターが発足しました。1986年に始まった有名な経済改革『ドイモイ』は当時まだ初期段階であり、医療環境を含む社会的基盤は未整備な状態でした。当時外国企業はまだ多くはありませんでしたが、外交に携わる仕事をされている方やベトナムの開発に協力する国際機関で働く外国人を主な対象として医療サービスを提供していました。その2年後の1994年にはハノイでもクリニックが発足しました。その後ベトナムの経済改革が進むにつれ、外国からの投資も加速し、特に日本からの投資が目立つようになりました。ベトナムの経済と社会が大きく変貌したことに伴い、クリニックにいらっしゃる患者様も外交関係者や国際機関の方々に加え、海外の企業の駐在員の方が多くなりました。特に、日本は長期にわたり、ベトナムに多くの投資を行い、最大の援助国であります。日本企業のベトナムへの進出も盛んになり、日本人の患者様により適した医療サービスを提供するため、常勤の日本人医師を1996年にはじめてホーチミンクリニックに迎えました。その後、日本人医師を中心として、ベトナム人および外国人の専門医と連携を取る日本人患者様のためのチーム医療体制が構築され、現在に至っております。 

長年に渡り、日本やその他の国々からいらしたた方々の医療に関するサポートに取り組む中で、外国企業のベトナムへの進出に、貢献することを目指してきました。この道のりのなか、ベトナムにある外交機関や外国企業の中で、徐々に知名度も上がり、1996年には日本領事館の医療アドバイザーとして任命され、在ベトナム邦人の健康を守るために、感染症の発生の報告などをはじめとしたベトナムの医療状況、および医療的なアドバイスを領事館に提供しました。また、領事館と連携し、ベトナムで事故や重病になった邦人の医療サポートも行なってきました。2010年代に日本大使館の医務官がベトナムで駐在されるようになるまでの間10年以上、この役割を無事に務めさせていただき、一つの使命を完了できたことを誇りに思います。

長きに渡り、数多くの医療エピソードの積み重ねにより、多くの患者様と信頼関係を築いてきました。エピソードの一つに、2009年9月、生鮮品の輸入販売商社、オーシャン貿易社長の米田多智夫氏は、ベトナムでの現地子会社の建設現場で事故に遭い、頸椎を激しく損傷して四肢がまったく動かない状態でしたが、私たちの医師が米田社長を日本へ搬送しました。日本での治療を終えた米田社長が再びホーチミンにいらっしゃったときに、日本への搬送の際に同行したDr Phi Truong Hoang Phuに感謝状を下さいました。このエピソードは、米田社長のインタービューの記事が入っている2011年3月期の「週刊ダイヤモンド」誌にも書かれています。

長い歳月に渡り、多くの日本を含む様々な国の患者様方にご愛顧いただき、私たちのクリニックは大きく成長を遂げました。患者様一人一人との関係を大切にし、患者様からのご信頼をいただけるからこそ、われわれの本日があることを
常に心に刻んでおります。

ハノイクリニック ザン (Ms) E: giang_nguyen@rafflesmedical.com  |  M: 0779991987 ベトナム語、英語

ホーチミンクリニック タム(Ms)  E: dang_ngocminhtam@rafflesmedical.com  |  M: 0903719410 ベトナム語、英語

日本語での対応をご希望の場合、ハノイ、ホーチミン共 金津初美(かなつはつみ)までご連絡ください。E: hatsumi_kanatsu@rafflesmedical.com  M: 0902152166

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